HANS
―闇のリフレイン―


夜想曲2 Kugel

2 時刻表にない列車


そもそもは前日のコンサートから始まった。
アメリカの人気ヘヴィメタルバンド、デーモンストライカーの来日公演が大阪であった。その公演中にボーカルのガナ・ブラウンを殺害しようとしている者がいるという情報をマイケルが掴んだのだ。そこで、彼はガナ本人に公演を中止するよう直接交渉に臨んだが、それならそれで面白いと言って、当のガナは一笑に伏した。
ところが、そのバンドのメンバーの一人が運び屋をしており、日本人と取り引きするために来日したという疑惑が生じた。それだけならば、日本の警察に任せるところだったが、その男が能力者だと判明した。そこでハンスとルドルフに出番が回って来たという訳なのだ。

二人は早速コンサート会場に駆け付けた。
中は熱気の渦に包まれていた。激しく回るミラーボールや照明。絶叫して歌い続けるガナとそれに呼応するように歓声を張り上げる観客。
「狂気の沙汰だな」
ルドルフが呟く。が、ハンスは顔を輝かせて言った。
「最高だよ! すっごい楽しそう!」
騒音が響き渡っているホールの中を移動して、ルドルフはオペラグラスを使って、ステージのメンバーを観察した。

「ねえ、あのキーボードの奴、右手の動きが妙だ」
ハンスが囁く。
「ああ。奴が今回のターゲット。イェン・トリッキーだ」
ルドルフはいつでも狙撃できるよう、銃の照準を合わせた。
「そうやって僕を撃ったの?」
ハンスが訊いた。
「一年前にはそうやって僕を狙ったんだね」

熱くなっている客達は皆舞台に夢中で、誰一人、彼らの存在に気づく者はなかった。
「僕が行くよ」
男が構えるスコープを手で強引に下げると、ハンスが言った。

舞台では、ガナがギターを掻き鳴らし、魂の叫びを歌い続けていた。ドラマーは狂ったように髪を振り乱してリズムを刻み、ベースの奏でる深い音がそれらすべてを刹那に導く。ここには時間も何もなかった。ただ音に合わせて疾走する熱情だけが空間を迸る。
イェンは、ドライアイスの煙の中でキーボードを叩きながらじっとガナの隙を探していた。
ガナはマイケルの友人だった。そして、その音楽家としての原点は、かつてアメリカにおいて巻き起こった、国家による能力者の拘束に対するプロテスト運動にあった。
当然、殺させる訳には行かなかった。

舞台は終演に近づき、異様なまでの熱を帯びていた。
――ふふ。逃がさないよ
回る証明の色が暖色から寒色に変わった時、イェンの弾く手に誰かの手が重なった。
「だ、誰だ?」
男は動揺しながらも振り向かずに訊いた。
「へえ。さすがだね。本番中は何があっても演奏を止めないんだ」
背後の影が囁く。

「何者だ?」
――オリジン
「何?」
彼らの間には黒い霧が立ち込めていた。
「まさか……。奴は死んだ筈じゃ……」
ガナがステージを移動して、彼の前を横切る。狙うには絶好のチャンスだった。が、イェンは風を撃つことができなかった。ハンスの手がぴったりと重なっていたからだ。

「殺らないのか? ほら、もう一度来るよ」
ガナがステージの右から左へと動く。その度に客席からは黄色い歓声が巻き起こった。
「くそっ!」
イェンは悪態を突くと強引に攻撃を仕掛けようとした。
「おや、風を撃つ時、演奏を止めちゃだめじゃないか。それじゃあ、僕の真似はできないよ。撃ってごらん? ほら、こんな風にさ」
ハンスは背後から伸ばした手でキーボードを叩きながら、風の弾丸を飛ばした。それは鋭くカーブを描き、ブーメランのように戻って来ると、イェンの胸に突き刺さった。
「僕の真似をしようなんて100年早いよ」
そう言うと彼はキーボードの上に伏せた男を払い落し、自分がそれを弾き始めた。

気分が高揚していたハンスは、そのまま演奏に加わった。ガナはちらっとこちらを見たが、構わず歌い続けた。そして、ハンスが自分に付いて来れると判断した彼はますますハイテンションになり、そのあと2曲も新曲を披露した。
ガナのギターとハンスのピアノ。二人の即興演奏は、渓谷を飛翔する鷲と鷹のように掠め合い、切りつけ合った。そのすべての攻撃は、危険極まるバランスで、完全に調和していた。観客も舞台に引き付けられて瞬きさえも忘れ、身動き出来ずに見守った。
そして、ステージは大盛況のうちに幕を閉じた。


楽屋に入ったガナがハンスに言った。
「おまえ、最高じゃん。次の公演でも一緒にやろうぜ!」
「それは楽しそうだね。でも、僕達には他にやらなきゃいけないことがあるんだよ」
「やらなきゃいけないこと?」
ガナが訝しそうに訊いた。そこへルドルフが入って来て声を掛けた。
「いつから奴と、イェン・トリッキーと仕事をしてた?」
「これが初めての舞台さ。急遽キーボードが必要だったんでね、弾ける奴持って来たって訳」
ガナが答える。
「前から知り合いだったのか?」
「いや。奴の方から使って欲しいと言って来たんだ」
ギターのネックを掴んでガナが言う。
怪しいと思わなかったのか?」
「怪しい? 業界の連中なんてみんな怪しいもんだらけだろ?」
ピンと爪で弦の一本を弾くと挑発的な笑みを向ける。
「それに、俺は人格や経歴には拘らねえ主義なんだ。取り合えず使える奴が欲しいんでね」
部屋の空間にはまだ、エレキトリックな余韻の音が響いていた。
「ふうん。命知らずなんだね」
ハンスが言った。
「はは。それがロックンローラーってもんよ!」
ガナは凝りない奴だった。


それから彼らは情報を整理し、イェンが投宿していたホテルへ向かった。
2度の通話記録はいずれも外部からのもので、ジョンが分析した結果、取り引きを仲介していた男の存在が浮上した。イェンの後始末をマイケルに任せ、ハンスとルドルフは仲介人である檜山という男が住むアパートに向かった。


「開けろ! 警察だ!」
211号室のドアを激しくノックしてハンスが叫ぶ。が、返事はなかった。しかし、中にいるのは確実だ。彼らがそこに着いてから明らかに風の流れが変化したからだ。ハンスが合図を送るとルドルフが銃にハンカチを巻き、鍵穴を撃ち抜く。

「檜山!」
部屋は書類や紙クズ、ペットボトルやコンビニ弁当の空箱、雑誌やビニール袋などが散乱していた。余程慌てたのかテレビの電源も入れたままだ。
PCの横には食べ掛けのカップ麺と細い花瓶に秋桜が差してあった。
バスルームの奥からカタンという小さな物音がした。
ハンスがドアを開けると、まさしく今、男が高い窓を乗り越えて外に逃げようとしていた。ハンスはバスタブに飛び乗るとその窓によじ登った。
「戻って来いよ。おいしいバスタブの水をたっぷり飲ませてあげるからさ」
ハンスは風の力で、落下して行く男の身体を持ちあげて言った。
「ば、化け物……!」
宙に浮かんだまま男が騒ぐ。と、静かに絡みついた闇の風が男の身体を拘束した。
「化け物だって? おまえが取り引きしている相手にもそう言ったのか?」
闇の中で光る目が男を見つめた。道の向こうには茂った樹木と墓石の群れが並んでいる。
「ち、違う。俺が取り引きしてるのは立派な方々なんだ。この国を守るという崇高な目的の元に……」
男の口調が急に熱を帯びたものに変わった。
「お喋りは中で聞こうか」
そう言うとハンスは男の身体を窓の内側へと引きずり込んだ。

「会の方々は誰もがこの国のために働き、犠牲をも厭わないと誓いを立てられている。おまえらとは違う。偉いお方なんだ」
正気を逸したような目で、檜山は語った。
「それでおまえは、イェンから爆弾を仕入れて誰に渡した? どこの偉い人に渡したのか教えて欲しいな」
ハンスが襟首を掴んで訊く。
「し、知らない。俺はただの使い走りだ。指示通りに動いただけで……」
「じゃあ、その指示を与えたのは誰だ? そして、指示の内容は?」
「それは……」
ハンスはバスタブの蓋を外すと短く口笛を吹いた。
バスタブには水がいっぱいに張られていた。
「素敵だ。それじゃあ、約束通り、ここでお水を飲むかい? 金魚さん」
「や、やめろ!」
ハンスは男の髪を掴むとぐいと押して、顔を水に漬けた。

「アインツ、ツヴァイ、ドライ……」
もがく男を尻目に見ながら、彼は数えた。
「あぶくがいっぱい。そろそろいいかな?」
男の頭を水面に上げて彼は言った。
「さあ、話す気になった?」
しかし、男は噎せて咳き込んだきり、何も言おうとはしなかった。
「あれ? 変だなあ。黙っちゃった。やり方がよくなかったのかな。飲み足りなかった?」
そう言って、ハンスはもう一度男の髪を吊るし上げた。
その時、ドアの向こうから声がした。
「いつまでも遊んでいないで早くしろ! 時間がないぞ!」
PCを捜査していたルドルフだ。
「わかったよ。ほら、おまえがもたもたしてるから、怒られちゃったじゃないか」
ハンスはそう言うと男を睨む。
「さあ、もう終わりにしようよ。おまえが知っていることを全部吐いてさ」
「俺が知っているのは……」
そう言うと男は微かに笑んだ。男の指先が着込んだベストの下へ潜り込む。ハンスは咄嗟に男をバスタブの中に突き落とすと部屋に飛び出してバスルームの扉を閉めた。
「ハンス!」
同時にPCから離れたルドルフが呼ぶ。二人は全力で部屋の外へ走り出るとドアを閉めた。次の瞬間、内部で爆発が起き、炎が部屋を舐め尽くした。

「あいつがベストの下に仕込んでいた起爆スイッチを押したんだ。白い紐に繋がれたプラスティック片を引っ張るのが見えた」
興奮したようにハンスが喋った。その唇に指を当ててルドルフが言う。
「来い。もう用はない。早くここから離れるんだ」
「でも、他の住民は?」
「ここは名ばかりのアパートで、他に住民はいない。来月取り壊す予定になっているんだ」
「なるほど。隣は道路を隔てて墓場だもんね。延焼することもないか」
そうして二人が車に乗り込んだ時には、近所の家に窓明かりが灯り、遠くでサイレンの音も聞こえ始めた。

それから二人は車で市街地を抜け、大きく迂回してからジョンと連絡を取ることにした。
「奴の身体に仕掛けられた爆弾とPCは互いに連動していたんだ。情報を隠蔽するためにな」
「隠蔽? それじゃあ、情報は得られなかったの?」
ハンスが訊いた。
「いや。重要そうなファイルを幾つか送信した。それに、紙の資料も手に入れた。役立つかどうかはわからんが、あとは分析次第だな」
東の空が白み始めていた。通りすがりの民家の庭で咲いている秋桜を見てハンスが言った。
「あの男の部屋。あんなに散らかっていたのに、花が飾ってあったね」
「ああ。花の種も幾つかあった」
「花が好きなのかな? なのに、どうしてあんなひどいことするんだろ?」
「おまえだって花は好きだろう?」
周囲の車に気を配りながら男が言う。
「僕は花を燃やしたりしないよ」
ハンスが小さく息を漏らす。
「これに関係があるのかもしれないな」
ルドルフは1冊のリーフを指した。檜山の部屋から応酬した書類の一つだ。
「雑誌?」
「ローマ字表記は、KONOHANAKAI。幾つか同じ表記がされている物を見た。いずれも通しナンバーが振ってあり、花に関係した特定の団体の会報らしい」

「そういえば、檜山が確か、会の方々と言ってたよ。関係があるのかな?」
「今はまだ何とも言えないが、バックに大きな組織が付いているのは確かだろう。爆弾はもう、その組織の誰かに渡ったと見た方がいい」
「それにしても、何で自ら死ぬ必要があるのかな? 自分は安全なところにいて、PCだけ破壊すればいいのに……」
「人間はとかく弱い者だからな。苦痛に耐えられなくなればすぐに情報を漏らす。そうならないための手段なんだろう」
フロントガラスに朝の光が反射している。
「でも、命よりも大切なものなんてあるのかな?」
「あるのさ。ああいう連中にはな。あるいは俺達のような人間にも……」
「命よりも大切なものか。僕ならえーと、何だろう? イチゴキャンディーかな? それに美樹ちゃん……」

そうして、彼らはこれまでの経過をジョンに連絡し、情報をすり合わせた。
――「わかった。君達は取り合えず、京都に向かってくれ。新しいことがわかったらまた連絡する」


そして、彼らは大阪から京都へ向かって車を走らせた。
途中で、一度ジョンから連絡が入り、爆発物の一つは人間が新幹線の車内に持ち込み、もう一つは鉄橋に仕掛けるつもりらしいということがわかった。
――「この2つの事案は連動している。ターゲットは二人いて、それぞれ別個の行動を取っている。どちらにせよ、動くのは午後からだ。君達は10時までには京都市内で待機していてくれ」
まだ自分の出番ではないと知ると、ハンスは車の中で欠伸した。
「それじゃ、僕、しばらく寝てるね」
そして、眠りに落ちた彼は再び夢を見た。
2つの鼓動。2つのビー玉。そして、2発の弾丸が発射されたコンサート……。繰り返し見て来たあの夢を……。


美樹はコーヒーカップを下げるとキッチンで洗い始めた。
2つのカップ。2つのソーサー。そして、2つのスプーンを……。
彼女は少し眠そうに時計を見た。10時5分前。
「少し休もうかな」
そう呟いたものの、ハンスのことが気になった。ジョンは大丈夫だと言ったが、絶対の保障などない。眠ればまた、あの夢を見るかもしれないと思うと不安だった。

「ああ……。ルビー」
華やかなコンサート。超満員の観客。舞台に立った彼は輝いていた。誰にも真似のできない奇跡の演奏をした彼。渡した花束を受け取って、「ありがとう」と言って握手した。放したくなかった。永遠に繋いでおきたかったその手は離れ、届かない場所へ逝ってしまった。
「ルビー!」
幻想の彼方へ……。彼は旅立ち、重い空気の壁が彼と客席とを隔て、緞帳が彼女と現実とを隔て、記憶は何度も螺旋を描き、彼女に同じ夢を見せ続けた。
しかし、彼は帰って来た。
もう悲しみが枕に沁みつくことはないのだ。そう何度も自分に言い聞かせた。それでも、彼がいない時、一人で眠るのが恐ろしかった。


「ガイストが溢れている」
ジョンは自室のコンピュータの前で考え込んだ。
国の中枢から漏れ出したそれらは、独自に考えを巡らし、各々が勝手な行動を取り始めている。そうとしか思えない事案だった。
殺意の向こうにあるものはバラバラに刻まれた正義。秩序のない能力の解放は自滅に向かうしかないということを、彼はいやというほど知っていた。
「新幹線か。制御システムに侵入するのは簡単だ。だが、車内に潜入した人間を突きとめるのは困難だ。どこかに仕掛けるつもりなのか、それとも、自ら動いて自爆テロを仕掛けるつもりなのか見当がつかない」
しかも、京都から東京へ向かう新幹線は6〜8分に1本の割合であった。

そこに、マイケルから気になる情報が届いた。
――「H1329と書かれたメモ書きがホールのゴミ箱から見つかった。何だろう? 暗証番号かな?」
殴り書きだったが、それはイェンの筆跡に違いなかった。イェンはアルファベットのHを書く時、特有の癖があったからだ。
ジョンはあらゆる可能性を分析し、それは「ひかり」のH、数字は時間ではないかと時刻表を調べた。が、13時29分発の新幹線は存在していなかった。至近では13時26分発の「のぞみ」222号、そして13時39分発の「のぞみ」228号。どちらも「ひかり」ではない。

「時刻表にない列車……か」
まるで、ガイストのようだとジョンは思った。


その報告を受けた時、車はほとんど動いていなかった。
「あれ? まだ着かないの?」
ハンスが目を覚まして訊いた。
「15キロ進んだところで渋滞に巻き込まれた」
「渋滞? どういうこと?」
「その先のインターチェンジ付近で大規模な事故があったらしい」
「今何時?」
「8時50分」

「間に合うの?」
「順調ならば1時間で着く距離だ。流れてくれれば問題ない」
「でも……それって変だよ。敵の妨害?」
「十分考えられる。だが、迂回しようにも道路が封鎖状態で戻ることもできない」
「僕が車ごと飛ばしてあげようか?」
「そんなことをすれば、騒ぎになる」
「難しいんだね」
ハンスは腕を組んで考えるポーズをした。

それから30分ほどして、ようやく少しずつ流れが出来た。が、結局上りは閉鎖され、下り方向にUターンし、高速を降りて迂回するしかなかった。
それから彼らは市街地を抜け、田畑が続く郊外へと出た。
「ねえ、景色がどんどん田舎になってるんだけど、京都ってこんな感じなの?」
ハンスが訊いた。
「カーナビの表示では合っているんだが……」
ルドルフは背後から付いて来る車のことを気にしていた。
「あの、白い車、高速からずっと付いて来てるね。敵かな?」
ハンスが言った。
「今にわかる」

ルドルフがアクセルを踏みこんでスピードを上げると、その車もスピードを上げた。右へ曲がれば右へ、左へ曲がれば左へ、ぴったりと車間距離を保って付いて来る。他にはほとんど車は通っていなかった。
ルドルフは一旦、畦道に逸れてから急速にUターンして元来た道を戻り始めた。すると、やはりその車も同じことをした。
「あは。まねっこして来たよ、あの車」
ハンスが振り返って言う。その車が彼らを付けているのは明らかだった。
それから、2台の車でのカーチェイスが始まった。幸い他に通行する車がなかったので追いつ追われつ何処までも疾走した。

途中で何度か敵が発砲して来たが、狙撃には慣れていないようで、いずれも弾丸は方向違いへと逸れて行った。しかし、運転技術の方は確からしく、常に一定の距離を保って付いて来る。まこうにも視界が良過ぎて難しい。足止めするか、捕獲するかしかないようだ。
気がつけば山道へ差しかかっていた。
茂った木と段差のある畑が続き、道幅も狭く緩やかな上り坂になって行く。それでは逃げ場がなくなる。ルドルフは助手席のハンスに言った。
「運転を代われ! 俺が足止めする」
「わあ! 僕に運転させてくれるの?」
ハンスが歓声を上げた。

「ハンドルを固定してこのまま真っ直ぐ進ませるんだ。余計な動きはするんじゃない。いいな?」
「わかった」
彼は不服そうだったが、言われた通り、ハンドルを風の力で固定した。ルドルフは銃を持つと窓から上半身を乗り出して、続けざまに2発撃った。弾丸は前輪に命中し、車は蛇行して止まった。男が二人降りて来た。
自分達はそのまま直進してもよかったのだが、その山が何処へ続いているのかわからない。先程からカーナビの表示が消えてしまっていた。ルドルフは車を停めて、その男達を捕獲することにした。そして、情報を聴き出すことができれば言うことはない。

始めは抵抗して来たが、能力者ではない彼らの対処はルドルフ一人で十分だった。
「何故、俺達を付けて来た?」
ルドルフが英語で話し掛けたが、手錠を掛けられた日本人二人はむっつりと押し黙っていた。
「どうして僕達を付け狙うの?」
兄に促されて、ハンスが日本語で訊いた。
「警告さ」
一人が答えた。
「警告?」
「余計なことに手を出すなということさ」
「何が余計だと言うの?」
「これは日本の問題だ。おまえ達外国人には関係がない」

「外国? 僕には半分日本人の血も混じってる。関係なくはないね」
ハンスが言った。
「そうか。だが、俺達はけじめを付けようとしているだけだ。俺達なりのけじめをな」
「けじめとは?」
「粛清だ。掟に背いた者には制裁を与える」
どすの利いた声で男が言った。
「あの、もう少しわかりやすい言葉で話してくれない? さっぱり意味がわからないんだけど……」
「わかる必要などない。爆弾はセットされた。もう誰にも止めることは出来ない」
痩せた方の男が言った。
「爆弾か。日本はいつからそんな物騒な国になったの? そもそもこの国では銃は禁止されてる筈でしょ?」
「俺はライフルの所持を許されたハンターだ」
「へえ。車を狩るハンターなんて初めて聞いたよ。日本には面白い制度があるんだね」
「黙れ!」
周囲にはただ山の自然と畑が延々と広がっている。

「ハンス」
ルドルフが呼んだ。
「どうやら、はめられたのは俺達らしい」
「どういうこと?」
「端末が反応しない。カーナビもだ。ここは電波の届かない場所なんだ。要は足止めを食ったのさ」
時間は当に10時を回り、11時になろうとしていた。見ると日本人二人はこちらを見てにやにやしている。
「どうするの?」
「まだ、そう遠くへは来ていない。標識をチェックしていたからな。ここからなら、飛ばせば多分1時間半で着くだろう」

「でも、あいつらの車が邪魔だよ」
道幅が狭くなっているため、中央で斜めに停まっている彼らの車が通行を阻んでいた。そのことも計算した上で、この道に誘い込んだのだろう。
「周到な奴らだ」
ルドルフが言った。
「ああ、もう! 面倒だね。奴らの車は脇の畑に落としとけばいい?」
ハンスが訊いた。要は自分達の車が通ることができれば問題なかったので、兄も頷いた。そこでハンスは風の力でその車を道から弾き飛ばした。

「こいつらはどうする?」
ハンスが訊いた。
「協力する気がないのなら、眠らせて後部座席に放り込んでおけ! あとでじっくり尋問してやる」
そこで、ハンスは二人に薬を嗅がせ、念のため足もロープで縛ってから車に放り込んだ。
そして、彼らは急いで元来た道を戻り始めた。が、いくら走っても同じような景色ばかりが続いている。カーナビはノイズばかりで反応しない。
「妙だ」
しばらく進むとルドルフが呟いた。

「さっきもあれと同じ標識を見た」
それには、京都まで65キロとローマ字で書かれていた。
「もう5キロ以上は直進している筈だが……」
3度目に同じ標識を見た彼は疑いを確信に変えた。
「ルドでも迷子になるんだ」
くくっと笑ってハンスが言った。
「これは誰かに訊いた方がよさそうだ」
が、人も車も通らない。遠くでのんびり牛が草を食んでいるのが見えた。
「どうするの?」
携帯も繋がらず、彼らは完全に連絡手段を断たれていた。

「ねえ、見て! こんな季節なのに花がいっぱい咲いてる! 僕、あそこで遊びたい!」
「忘れたか? 俺達は仕事で来てるんだぞ!」
「だって、今はドライブしてるだけじゃないか」
「京都に向かっている」
「65キロより先に進めないんだろ? きっと僕達同じ場所でループしてるんだよ。抜けだせないなら同じじゃないか。遊んで行こうよ」
「そんな訳ないだろう。ほら、あの人に訊いてみよう」
畦道を耕運機でやって来た男を示す。
ルドルフは車を寄せて、助手席の窓を開けた。

「すみません、僕達、京都に行きたいんですけど、どの標識を見ても65キロと書いてあって、ほんとにこの道で合ってるですか?」
ハンスが訊いた。
「京都だって? そりゃまた、えらく遠回りしたもんだ。ここからだと日が暮れちまうよ。京都はあの山ぐるっと回った反対だから……」
「何ですって? じゃあ、京都まで65キロってのは?」
「あれま、誰かがいたずらでもしたんかね。あんな標識見たことないけんど……」
ハンスは男に礼を言うとルドルフに通訳した。

「つまりはすべてこいつらにしてやられたという訳か」
後部座席で眠り込んでいる男達を見やって苦々しく笑う。
「仕方ないよ。日本の地形なんて、まだよくわからないし……」
「とにかく、一度ジョンと連絡を取らなければ……」
携帯はまだ通じない。
「それにしても呆れたな。日本にもまだ、電波の届かない場所があるなんて……。事前の調査ではそんなデータはなかったんだが……」
そう言うと、ルドルフはバックミラーで後部座席を見た。それから、車を道路の脇に停めた。

「どうしたの? 遊んで行く?」
ハンスが訊いた。
「民家がある。あそこで電話を借りよう」
幸い、その家には留守番をしている老婆がいて、電話を借りることが出来た。そこで訊いた住所をジョンに告げた。回答はすぐに返って来た。
――「そこからだと駅も遠いし、電車の本数も少ない。そのまま車で移動した方が賢明だ」
「しかし、それだと例の新幹線の出発時刻には間に合わないぞ」
――「間に合わせるでしょ? あなたなら……」
「勝手なことを……」

――「僕は、あなたのことを高く評価している。期待は裏切らないと信じてますよ。こっちでも念のため、ヘリをチャーターさせますが、人を移動させるのに時間が掛かります。荷物は途中でリンダに受け取らせる。それで構わないかな?」
「了解」
ルドルフは電話を切ると老婆に礼を述べ、急いで車に飛び乗った。